2012年2月29日水曜日

夜空

震災の夜は、息をのむくらい綺麗な星空でした。
あの星空のもと沢山の方が犠牲になったのだと思うと
あの星空を忘れてはいけないと心の中に刻み混んでいます。

失った方は戻ってこないけど、
今目の前にいないけど、
失った方の存在を過去ではなく、
今現在という時間の中で形にしていく事は出来る。
それも生きているという事なのではないかと思ったりもする。

失ったもののこれからの成長はないけど
今までの歩みをしっかりと思い出し、味わう事は出来る。

違った意味での愛し方なのかもしれない。

沢山の涙は、失った方への愛情そのもの。
その涙大切にしてください。

思いをこめて。

すずりん。

2012年2月24日金曜日

もうすぐ1年。

もう少しで1年が経とうとしています。

節目節目で、色々な想いが蘇ってくると思います。
1周忌という事で法要や、親戚と顔を合わせる時期です。

きちんと法要を済ませてあげたい気持ちと、まだ整理のつかない気持ちとあると思います。

阪神大震災の遺族の方とのメールのやり取りからご紹介いたします。




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■たかいさんから 
私は、最初の1.17を迎えるのがとても怖くて
秋の気配(冬を連想させるので)を感じたころから
イライラが 強くなっていた気がします
そして、
その日、その時間に 息子が帰ってくると信じて
その時間を待っていた気がします

でも、息子は帰ってきませんでしたが。

1年目は、息子のことを覚えていてほしい
そういう思いが強かったです

友達に、震災の時のお礼のお手紙と
息子を忘れないでくださいというお手紙を
お礼の品物を添えて出しました

その作業をすることで
その日が来る恐怖や不安を紛らわせていた気がします

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他にもご協力いただける方が増えたのでゆっくりご紹介していけたらと思います

2012年2月17日金曜日

お役立ち情報 新聞記事から

子を亡くした母ら、会つくり支え合う 毎日新聞 2月7日(火)10時29分配信

 東日本大震災で我が子を亡くした宮城県内の母親らが、悲しみを分かち、支え合っている「つむぎの会」への参加者が約100人に達した。会は、肉親が自殺し た遺族の支援活動をしてきた田中幸子さん(62)=仙台市青葉区=のもとに寄せられた相談がきっかけで作られ石巻、気仙沼、仙台の被災3市で活動してい る。「命日も同じ、津波にのまれた状況も同じ遺族同士、深く理解し合える」。遺族らは、月1回開かれる語らいの場を心のよりどころにしている。

 石巻市の会合に参加している鈴木由美子さん(42)は、小学校6年の三男秀和君(当時12歳)を津波で亡くした。「これからどうやって生きていけばいい のか」とすがるような気持ちで加わった。震災から間もなく11カ月。母親同士の間などでは、秀和君のことを話題にする機会は少なくなったが「この会なら (息子を亡くした)お母さんとして泣ける」。

 避難誘導中に殉職した県警河北署(石巻市)交通課の青木謙治さん(当時31歳)の母恭子さん(52)。周囲からしばしば「(殉職して)立派だったね」と 声をかけられるが、「『警察官なのに逃げた』と責められてもよかった。私が守るから帰ってきて」と悲しむ。そうした気持ちも、遺族同士なら分かり合える。 「悲しみは変わらないが、支え合う仲間がいるから自分も頑張れる」と話す。

 会を運営する田中さんは05年11月、警察官だった長男健一さん(当時34歳)を自殺によって失った。遺族同士が語り合う場を作ろうと翌年、「藍(あい)の会」を設立。07年には、病気などさまざまな理由で子どもを亡くした親の会「つむぎの会」へと拡大した。

 さらに震災の遺族から相談の電話があったこともあり、昨年6月からは「親と子の命をつむぎ、(心の中で)一緒に生きていけるように」との願いを込め、被 災地で活動を始めた。参加者は母親がほとんどだが、田中さんが紹介し遺族同士で電話やメールで支え合っている父親もいて、会員は約100人に達した。

 田中さんは「悲しみは決して癒やされることはなく、生きていくには仲間同士、支え合うことが必要だ」と訴える。問い合わせは田中さん(090・5835・0017)。

 同じ境遇のママ達がお話する場があって良かったと思います。
支えあいながら、自分お気持ちを少しづつ吐きだしながら気持ちに向き合う作業、
とても大切だと思います。
気持ちに向き合う作業は、一人では辛すぎて出来ないと思います。
支えてくれる方が、周りを見渡すときっといる事だと思います。